2011年7月22日金曜日

Jean-Louis Schlesser

えと、突然ですが、タイトルは人の名前です。


「Jean-Louis Schlesser」
「ジャン-ルイ シュレッサー」という男をご存知ですか??


コアなF1ファン、モータースポーツファンなら、
少なからず名前を耳にした事くらいはあるんじゃないですか?

昨日、シューミに対する批判、非難について書きましたが・・・
メディアの超一流どころに対しての厳しい意見は、いまや日常茶飯事。
当の本人も意に介せずといった感じでしょうか?


イタリアサッカーなんぞ見てると、いつも思うのですが、
ホント、批判好きだねぇ(笑)
もはや「文化」とも言ってとれる、批判っぷり(笑)

まぁ、人種問わず、ゴシップネタは売れるからねぇ(笑)


話しを戻しますが、シューミに限った事ではなく、かつてはあのアイルトン・セナも、
アラン・プロストも、ネルソン・ピケも、ナイジェル・マンセルも・・・

賞賛の裏では、いつも批判、ゴシップにさらされていたのです。


しかしながら・・・



「ジャン-ルイ シュレッサー」


この人の一発伝説には、誰もかなわないんじゃないでしょうか???



ホント、忘れもしない・・・


1988年、イタリアGP。



。。。。。。。。。。




1988年シーズンは、アイルトン・セナ、アラン・プロストを擁するマクラーレンHONDAチームが
全16戦中15勝という、圧倒的な強さを見せたシーズンでした。

その後の日本でのF1人気は、このシーズンからスタートしたのではないでしょうか!?

セナが初のドライバーズチャンピオンを決めた、鈴鹿GPでの激走!!
テレビの前で胸が熱くなった事を、今でもよく覚えています。


16戦中15勝。



圧倒的に強かったマクラーレンHONDAが唯一、勝利を逃したレース。
勝利どころか、表彰台、いや、入賞すら逃したレース。


・・・・・


それが、イタリアGP。


フェラーリのお膝元で行われたイタリアGP。

フェラーリは、偉大なる創設者、エンツォ・フェラーリが亡くなった直後にむかえる地元グランプリだったが・・・
その予選では、シーズンの流れそのままに、マクラーレンHONDAの勢いが止まらなかった。



しかし・・・



レースが始まってみると、絶対的な信頼性を誇ったHONDAエンジンが初のトラブル。
アラン・プロストはレースを終えてしまう。


トップをひた走るセナ。

磐石のレース。のはずが・・・

後半、燃費に苦しみペースダウンを余儀なくされる。


追いすがるフェラーリ。
しかし、レースはあと2周。
セナの勝利は間違いない。



で!!そのとき!!




うわぁぁ~ やっちまったよ!!




このやっちまった人こそ、ジャン-ルイ シュレッサーです!!

ラスト2周で・・・


マンセルの代役としてスポット参戦。
初のF1決勝出場。
ドライバー人生の中でも、まさしくハイライトじゃない!!


で、これ??(汗)


レース後、どんだけの騒ぎになったか・・・
容易に想像できるでしょう(笑)

周回遅れのシュレッサー。
トップのセナに道を譲らなければいけないのは当然ですが、
よーくよく見てみると、セナもちと強引だった様に思えます。


まぁ、それにしてもですよ・・・


ジャン-ルイ シュレッサー

結果的に、マクラーレンHONDAのシーズン全勝を阻んだだけではなく・・・

巨匠エンツォの死を悼むティフォージが見守る中で、
劇的なフェラーリの逆転勝利を見事にアシスト!!


台本ナシで、こんなニクい演出・・・できますか??(笑)



しかも、ワン・ツーフィニッシュですよ!!(驚)


簡単なレースハイライト ↓↓↓↓↓



まぁ、なんと言いますか・・・

いろいろ言われちゃって、大変な思いをされたでしょうね(汗)


シュレッサーとHONDAには、1968年の「HONDA RA302」にまつわる
因縁めいた話もありますが・・・

そんなの抜きにして、ジャン-ルイ シュレッサーという男・・・


絶対に忘れる事の出来ないドライバーとなりました。



以上、興味のない人からすれば、全くどーでもいい話しでした。www

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