「Jean-Louis Schlesser」
「ジャン-ルイ シュレッサー」という男をご存知ですか??
コアなF1ファン、モータースポーツファンなら、
少なからず名前を耳にした事くらいはあるんじゃないですか?
昨日、シューミに対する批判、非難について書きましたが・・・
メディアの超一流どころに対しての厳しい意見は、いまや日常茶飯事。
当の本人も意に介せずといった感じでしょうか?
イタリアサッカーなんぞ見てると、いつも思うのですが、
ホント、批判好きだねぇ(笑)
もはや「文化」とも言ってとれる、批判っぷり(笑)
まぁ、人種問わず、ゴシップネタは売れるからねぇ(笑)
話しを戻しますが、シューミに限った事ではなく、かつてはあのアイルトン・セナも、
アラン・プロストも、ネルソン・ピケも、ナイジェル・マンセルも・・・
賞賛の裏では、いつも批判、ゴシップにさらされていたのです。
しかしながら・・・
「ジャン-ルイ シュレッサー」
この人の一発伝説には、誰もかなわないんじゃないでしょうか???
ホント、忘れもしない・・・
1988年、イタリアGP。
。。。。。。。。。。
1988年シーズンは、アイルトン・セナ、アラン・プロストを擁するマクラーレンHONDAチームが
全16戦中15勝という、圧倒的な強さを見せたシーズンでした。
その後の日本でのF1人気は、このシーズンからスタートしたのではないでしょうか!?
セナが初のドライバーズチャンピオンを決めた、鈴鹿GPでの激走!!
テレビの前で胸が熱くなった事を、今でもよく覚えています。
16戦中15勝。
圧倒的に強かったマクラーレンHONDAが唯一、勝利を逃したレース。
勝利どころか、表彰台、いや、入賞すら逃したレース。
・・・・・
それが、イタリアGP。
フェラーリのお膝元で行われたイタリアGP。
フェラーリは、偉大なる創設者、エンツォ・フェラーリが亡くなった直後にむかえる地元グランプリだったが・・・
その予選では、シーズンの流れそのままに、マクラーレンHONDAの勢いが止まらなかった。
しかし・・・
レースが始まってみると、絶対的な信頼性を誇ったHONDAエンジンが初のトラブル。
アラン・プロストはレースを終えてしまう。
トップをひた走るセナ。
磐石のレース。のはずが・・・
後半、燃費に苦しみペースダウンを余儀なくされる。
追いすがるフェラーリ。
しかし、レースはあと2周。
セナの勝利は間違いない。
で!!そのとき!!
うわぁぁ~ やっちまったよ!!
このやっちまった人こそ、ジャン-ルイ シュレッサーです!!
ラスト2周で・・・
マンセルの代役としてスポット参戦。
初のF1決勝出場。
ドライバー人生の中でも、まさしくハイライトじゃない!!
で、これ??(汗)
レース後、どんだけの騒ぎになったか・・・
容易に想像できるでしょう(笑)
周回遅れのシュレッサー。
トップのセナに道を譲らなければいけないのは当然ですが、
よーくよく見てみると、セナもちと強引だった様に思えます。
まぁ、それにしてもですよ・・・
ジャン-ルイ シュレッサー
結果的に、マクラーレンHONDAのシーズン全勝を阻んだだけではなく・・・
巨匠エンツォの死を悼むティフォージが見守る中で、
劇的なフェラーリの逆転勝利を見事にアシスト!!
台本ナシで、こんなニクい演出・・・できますか??(笑)
しかも、ワン・ツーフィニッシュですよ!!(驚)
簡単なレースハイライト ↓↓↓↓↓
まぁ、なんと言いますか・・・
いろいろ言われちゃって、大変な思いをされたでしょうね(汗)
シュレッサーとHONDAには、1968年の「HONDA RA302」にまつわる
因縁めいた話もありますが・・・
そんなの抜きにして、ジャン-ルイ シュレッサーという男・・・
絶対に忘れる事の出来ないドライバーとなりました。
以上、興味のない人からすれば、全くどーでもいい話しでした。www
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